おはようございます。
生涯いきいきアドバイザー 畑中啓言です。
今日から「私がなぜ?東かがわ市に移住したのか?」
をお話します。
今日は第一話。
【人生観を大きく変えたある出来事】です。
私は、1988年4月27日兵庫県西宮市に生まれました。
家族構成は一つ下の弟と父と母4人で、武庫川団地に住んでいました。
阪神タイガースの2軍球場が直ぐ近くにあります。
子どもの時から年子のせいなのか?
弟と毎日ケンカをしていました。
実は弟の方が身体は大きいんです。
でも、ケンカはいつも勝たせてもらっていました。
身体が大きい弟に勝つ必勝法
知りたいですか?
それはたった1つ。
「母親の教育」
それだけです。
母は年上の人を敬うこと。
を私たちにいつも教えてくれていました。
そんな母は弟に
「お兄ちゃんに絶対、手を出したらダメ!」
「お兄ちゃんがいるから今のあなたがあるんだ!」
だと口酸っぱく言ってくれていました。
身体は弟より小さくても、
兄の威厳がたもてていたのは、
まぎれもなく母の教育のおかげです。
そんな母でも、
ケンカをした時は必ず外に2人とも放り出せれました。
ケンカ両成敗です。
ケンカはどっちか一方が悪いのではない。
そのことを母が僕たちに伝えたかったのだと思います。
今の時代だと直ぐに通報されますね。(笑)
同じ兄弟でも、私は怒られると直ぐに『ごめんなさい』が言えました。
弟は、謝らないのでずっと怒られていました。
そんな正反対の兄弟ですが、団地住まいで子供部屋は1つ。
いつも弟と一緒に2段ベットで寝ていました。
上側で私が寝て、下側で弟が寝る。
お兄ちゃんの特権で上側を選びました。
今思うと優しくない兄ですね。
ある晩、弟が
「お兄ちゃん今日は一緒に寝てほしい」
と言ってきました。
普段はそんなこと言わないのに、
可愛いやつめと思い、
その日は2段ベットの下で弟と一緒に寝ることにしました。
「ドーーーーーン!」
そしたらその夜、経験のしたことない揺れと音で目が覚めました。
部屋を見渡すと、ゴジラの人形が床に落ち
棚とベッドの上の段が倒れて足の踏み場なんてありませんでした。
バタバタバタバタ。
「大丈夫?みんな無事??」
そんな大きな声が聞こえたと思ったら
すぐに母親が部屋に駆けつけて、真っ先に私を探していました。
ベッドの上で寝ているはずの私がいない。。。
母は、
私がベッドの上にいなくて焦ったみたいです。
私が下の段から顔出したら
「よかったーーーー」
と一言だけいって
僕たち兄弟を抱きしめてくれました。
もし弟があの時、「一緒に寝よう」と言ってくれていなかったら、
私の命はなかったかもしれません。
それが
1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災です。
幸いにも団地の玄関は開き逃げることができました。
20階建に住んでいた僕たち家族は地震でエレベーターは使えないことを知り、
母は僕たち2人を抱えて階段を降りていきました。
武庫川団地の階段の壁は剥がれ落ちて
悲惨な状況だったことはいまでも脳裏に焼きついています。
とにかく壮絶すぎて
ライフラインの復旧がいつしたのか覚えていません。
公園に水を配りや仮設住宅が沢山できたのを覚えています。
小学校1年生の入学式も覚えてません。
やったのだろうか?
そこから家庭の事情もあり尼崎市に2年生の時に引っ越ししました。
この時の経験が後に東かがわ市に移住を考える一つの要因になるのです。
今日も、
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
PS.
もし、あなたが最後までよんでくれたのなら、
1つだけお願いがあります。
今回の文章を読んで
ホームページ問合せ欄に感想をかいてくれたら
最高に嬉しいです✨
それでは、今日1日が
あなたらしい最高の人生になることを祈っています。